RADWIMPS『ヒキコモリロリン』の“田中昌也”は洋次郎の先生
RADWIMPSの初期の名曲『ヒキコモリロリン』には、歌詞の途中で「あかさ田中昌也(たなかまさや)」というフレーズが登場します。
突然の固有名詞に、たなかまさや? え、誰? と思ったひとも多いのではないでしょうか。
実は、この田中昌也というのは、RADWIMPSのボーカルで作詞作曲も担当する野田洋次郎さんの学生時代の恩師、田中昌也先生のことです。
田中昌也先生は、野田洋次郎さんの中学のときの担任で、柔道(洋次郎さんはバスケ部)の指導者でもあったようです。
田中昌也先生について、洋次郎さんは、次のような田中先生の人柄がわかるエピソードを紹介しています。
校則の厳しかった洋次郎さんの母校桐蔭学園では持ち物検査が日常茶飯事。整髪料、ピアス、携帯など、厳しくチェックされるなかで、田中昌也先生だけは一度も持ち物検査をしなかったそうです。
きっと先生は最後まで生徒を信じようとしてくれたのだと洋次郎さんは言います。
最後に一つだけ。
大昔からラッドを聴いてる人ならご存知(楽曲にも出てくる)「田中◯也」先生。彼は僕の中学の担任でした。厳しかった我が学校は生徒の持ち物検査が日常茶飯事でした。整髪料、携帯、ピアスetc。記憶では全クラスが一斉に抜き打ちの持ち物検査をしても先生だけはしませんでした。— Yojiro Noda (@YojiNoda1) 2020年1月21日
クラスで財布の盗難事件があってもエッチなビデオが発覚しても、先生は持ち物検査をしませんでした。ロッカーを見たりしませんでした。最後まで生徒を信じようとしました。たぶん少しバカな先生だったんだと思います(言い方はよくない)11クラスある中で我ら6組は断トツで試験の成績は最下位でした。
— Yojiro Noda (@YojiNoda1) 2020年1月21日
でも体育祭と合唱コンクールだけは毎回僕らが優勝していた記憶があります。僕らは勉強以外は強かった。それが誇らしかった。
これはうろ覚えだけど体育祭で優勝したあと先生は内緒でクラス全員にマックを奢ってくれた記憶があります。そんな先生がいてくれて俺はよかった。以上。朝から。— Yojiro Noda (@YojiNoda1) 2020年1月21日
ちなみに、この田中昌也先生という名前を、慶應義塾大学の柔道部員の自己紹介でも発見しました。
私の柔道人生においても、桐蔭学園は原点なのです。柔道とは1ミリも無縁の家庭で生まれ育った私は、半年間で2度も顎を縫うというクレイジーな子供でした。そんな私を見た両親がどうにかして怪我をさせないようにしようと柔道を学ばせることを決心、様々な名門道場を調べた末に門を叩いたのが、後の恩師でもある桐蔭学園の鈴木寛人先生、田中昌也先生が開かれていた道場だったのです。
最初は柔道のただならぬ雰囲気に泣きながら練習に向かっていましたが、次第にその雰囲気が病みつきになり、気づけば14年間も続け自分の人生の一部となっていました。高校では不運にも怪我に悩まされましたが、大学では自分の柔道の完成形を追求したいです。
以上、RADWIMPSの『ヒキコモリロリン』に登場する「あかさ田中昌也」と野田洋次郎さんの関係性でした。